登山道
猪のあと

合宿・琵琶湖市民大学 2005 琵琶湖を五感で感じる4日間!!

2005年8月27日 13:30〜18:00 琵琶湖を五感で感じるワークショップ

湖岸の町を観察しよう登山口にて
【いざ山本山へ】
まずは尾上の町を見下ろせる湖畔の山、山本山に登りました。山本山の登山口は神社の社殿の脇にあります。社名は宇賀神社。おそらく祭神は宇迦御魂(うかのみたま)神。お稲荷さんとしても知られる穀物の神様・豊穣の神様です。
登山道は常緑広葉樹を中心に、落葉広葉樹の混じった雑木林の中を進みます。ところどころ、杉や桧の植林がありましたが、現在の管理は十分に行き届いていないようで、荒れ放題でした。3分の1ほど登った辺りには、若宮山古墳という全長49mの前方後円墳がありました。前方部が長方形に近い形式からして古墳時代前期のもののようです。

山本山山頂から

頂上に着くと、足下には尾上の町、琵琶湖には竹生島が浮かび、正面には葛籠尾崎の山々が見える絶景が広がっていました。頂上から足下の野田沼をながめると、カヌー隊のみんながカヌーを漕いでいるのが見えました。山本山の頂上には平安末期から城があったようで、現在は戦国期の城の土塁が残されていました。ところどころに猪が地面を掘り起こしたと思しき跡がありました。
山頂から 琵琶湖 山頂から 野田沼 山頂 土塁
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山頂から湖岸を見下ろす尾上の地形図(中央が野田沼)

頂上にて、明治26年、昭和50年、現在の3枚の地形図と足下の景色を見比べながら、みんなで付近の地形や土地利用の変遷から様々な想像を膨らませました。特に足下を流れる余呉川の流路・流量の変化と湖周道路の建設、圃場整備による地形の変化には大きなものがありました。また、かつては湖岸や余呉川の自然堤防上には桑畑が広がっていたようでしたが、 現在はまったく見当たりませんでした。
このようなことから、明治期・昭和50年代から現在にいたるまでの生活の変化、 明治よりもさらに過去の地形、日本史におけるこの土地の重要性などなどに想像が膨らんでいきました。

町あるき旧余語川の水路

山本山歩きにじっくり時間をかけすぎたため、尾上の町歩きは十分な時間をとることが出来ませんでしたが、旧尾上港の写真や散歩中のおばあさんのお話、山本山からの観察などから、過去の尾上の町の景色を想像し、現在と比べることが出来ました。実はこの後の休憩時間中にも参加者のみなさん各自が、自主的に尾上の町や周辺の田圃、新旧の余呉川などへ散歩へ出かけて、さらに理解を深めたようです。
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