合宿・水俣市民大学2008エクスカーション1水俣病の患者さんのお話 熊本県葦北郡芦北町女島70歳を超えた今も現役で漁に出ておられるという漁師さんに、水俣病発生当時の暮らしぶりや、その後の抗議行動や裁判についてお話を伺いました。手漕ぎ船から動力船への変化、網元・網子といったの漁の共同作業のこと、魚が主食だったという食生活、ネコが狂い死にし始めたことなど、当時の暮らしぶりと(当初原因不明とされた)水俣病による集落の混乱を分かりやすく語っていただきました。チッソはなぜ排水をとめなかったのか、なぜ行政もちゃんと指導しなかったのか・・・二度とこうした悲惨な時代を繰り返してほしくない、と静かに語られました。 ごみ22分別大阪や京都などからの参加者は、水俣市のごみ22分別を始めて体験する機会となりました。慣れてしまえば当たり前のことなのでしょうが、何をどうするのか分からず、分別表を見比べながら食事の後片付けをすることになりました。再資源化も考えて分別することの大切さを実感したのですが、そもそもごみを出さない買い物や工夫も考えなければならないようです。水俣市立 水俣病資料館見学資料館の映像展示室で「水俣病とその教訓」を鑑賞し、館内の展示を見学しました。企画展示室では元チッソ付属病院長であり、水俣病公式発見者の一人とされる細川一医師の特集が組まれていました。直筆のメモや関係者の証言から、医者としての使命と会社医という立場に苦悩しながら水俣病に向き合った誠実な人物像が伝わってきました。エコパーク水俣は、右地図の赤点線の部分に作られた埋立地に整備された公園です。チッソ工場からのメチル水銀を含んだ廃液が百間排水口から流されて水俣湾や周辺の魚を汚染しました。水銀濃度25ppm以上の水銀ヘドロは浚渫され、水銀に汚染された魚はドラム缶に詰められて、一緒に埋められています。2008年9月現在、百間排水路のダイオキシン汚染が問題となっており、再び湾内の浚渫と埋め立てがなされようとしています。 |